死んでるのも生きてるのもそんなにかわらない・・・今年、僕は脳出血で実際、何度も死にかけた。
座間市の首つり士事件が世間をにぎわせていますが、犯人の言葉として、よく取り上げられている、「会ってみると本当に死にたいと思っている人はいなかった。私がしたことは殺人です」が、私は、ひっかかります。
これは、私、個人が今年、六月に脳出血で入院し、四日間意識不明ですごし、その後も何度か死を身近に感じる経験をしたからです。
同じ病気に入院していた同じ大病室の方たちが亡くなられる場面にも何度か遭遇しました。
座間市の事件とは、まったくシュチエーションが違うのですが、病院にいた頃、僕の周囲には、もういつ死んでもいいやとか、もうすぐ自分は死ぬんだろうな、と思い、それを口にし、実際に死んでしまう人がたくさんいました。
死にたい、というか、どうせ生きてても死んでも同じだから、別に死んでもいいよ、という人たちです。
死の可能性が満ち満ちた入院病棟は、死と生の距離がものすごく近くて、あいまいです。運よく死なずに生き残った人たちがよく口にするのが、「怖いものがなくなった」という言葉でした。
では、実際に、いきなり脳の血管が破裂して、救急車で搬送され、意識不明で集中治療室に入っていた私が、「怖いものがなくなった」かといえば、そうでもありません。
ただ、他のみんなが、なぜ、「怖いものがなくなった」と言うのか、その気持ちは、なんとなくわかります。病気によって、一度、己の肉体の死に急接近したことで、死が普段の生の延長線上にあり、特別なイベントではなく、いつかは誰もが経験する、当たり前のことであるのを実感した。
その結果、みんな、「あー死ぬのって別に普通じゃん。生きてる方が、いろいろあってつらいよね」と再確認したのだと思います。
死にたいとは思いませんでしたが、私も、こうしてベットで大人しくしていれば、人生それでいいのなら、もう死ぬまでそうしていれば楽かも、と思ったりもしました。
能動的に日々を生きている人には、死は遠いですが、息をしてはいるけれど、それこそ植物に近い感覚でひっそりと生きている、という人からすれば、死はそれほど遠くありません。
今回の座間市の事件の被害者のみなさんは、マスコミが伝える情報からすると、みなさん、まだ、死の側にいる感覚で生活しているような人ではなく、興味本位で犯人と接触し、殺されてしまった、というのが事件の真相のようですね。
不謹慎な物言いですが、犯人が本当に、死にたい人を探していたのなら、病院で瀕死の状態で入院している人などに呼び掛ければ、彼が言うところの「本当に死にたい人」に会えたと思います。
しかし、相手が本当に死にたかろうと、死にたくなかろうと、殺人は殺人なので、基本、人が人を殺すのは許されない、という社会的なルールが、今回の事件ではいとも簡単に踏み越えられている点が、不気味で、もっとも飲みこめないところです。
人はみんな必ずいつかは死ぬけれど、人の命を他者が勝手に奪うことは許されてはならない。四十過ぎのおじさんの古臭い考えかもしれませんけれど、私はそう思います。座間市の事件の犯人はそれがわかっていない感じがします。
そこが怖いです。
こんな危険な人物が己の衝動のままに殺人を犯し続け、ネットを通じて新たな被害者は自分から、彼のところへやってくる。
こんなことがまかり通る世の中で自分が生きているのかと思うと、本当にぞっとします。
首つり師は一人いたのだから、似たような輩は他にもいるでしょう。
今後もきっとでてくると思います。
彼は、漫画や映画をみて今回の犯行を思いついたのかもしれない。私も、漫画も、映画も、人によって創られたお話が大好きな人間ですが、こんなふうにマイナスの方面に背中を押されるのは、彼自身が悪いとしか言いようがありません。
そして悲しいです。
バカがバカだからバカでしょうがないんだ。と言い捨ててしまう大人も多いでしょう、たしかにそうかもしれません。でも、そのバカがここから増えていくとしたら、なにも手を打たないと、今度、被害にあうのは、あなたの愛する家族、友人かもしれません。
漫画も映画もドラマもいろいろな作品があって、私たちは、フィクションを通じて異常者に馴れすぎてしまった、気がします。
しかし、日常生活を脅かす異常は、やはり、はっきりと忌み嫌う社会でなければなりません。安易な好奇心でそういった異常に手をだすのは危険だと、もっと、はっきり言う必要があります。
まとめです。
今年の夏、自分が入院した経験で、私は生と死の間にいるような人たちと入院生活を共にしました。そこで得たのは、死は特別ではない、という感覚でした。
そして、この座間市の事件。
死を望んだ人に死を与えるという体裁の連続殺人でした。
こちらは、人を殺す重みのわかっているとは思えない、異常者による凶行でした。
私は、この二つの出来事をほぼ同時期に体験して、生きることと死ぬことは、自分なりに誰しも真剣に考えなくてはならない問題だと考えるようになりました。
いつも、映画や小説の話ばかりいている人間が、急にまじめになってすいませんでした。
たまには、こういう日もあるのです。