いおちゃん 一
一
菅原信良33歳が収監されたのは、その年の年末だつた。
(ムショに初めて入ったのは、いつだったかは、もう忘れている。
いつでもそうだけどさ、今回の懲役も僕は喰らうつもりはなかった。
いまの僕はシャバを離れるわけにはいかない。
だって僕は、AUC(Avant de devenir un adulte filles Club略してAUC 仏語で、大人になる前の少女たちのクラブって意味)のファンクラブの会員だし、AUCの活動を応援してあげなくちゃ。
AUCのメンバー全員も大切だけど、一番大事なのは、もちろん蒼月いおちゃんだ。
蒼月(あおつき)いお。愛称いおちゃん。本名は、荒木伊織。長崎県出身。身長165cm、血液型B型。誕生日5月1日。おうし座。7歳から芸能活動を開始。
AUCのメンバーの中で最年少(15歳)だけど、芸能界のキャリアは長い、ずっと売れないまま、映画やTV の子役でちょこちょこ出演したりしていた。
将来の夢は女優になること、AUCのメンバーの中で一番、プロ根性があると言われている。
僕の夢は、いおちゃんと結婚することだ。
これはマスコミが流さない情報なんだが、いおちゃんの父親は長い懲役についている極道らしい。つまり、彼女は、僕のようなハンパものに親近感を持ってくれる可能性はある。他のファンのやつらの何倍もいおちゃんへの愛を示せば、いおちゃんは、僕を認めてくれるはずだ。
だからこそ、俺は、窃盗なんてチンケな罪で3年6ヶ月も刑務所にいるわけにはいかない。
いおちゃんに会いたい。
いや会わなくちゃいけない。僕といおちゃんの将来のためにも、二人はここで離ればなれになるわけにはいかないんだ。
AUCのLIVEへ行きたい。イベントへ行きたい。
僕はどうすればいいんだ。
脱走すればいいのか、それともなにか、ここを早く出る方法はないのか)
信良は、アイドルグループAUCのメンバー蒼月いおの熱狂的ファンだ。
信良の33年の人生の中で、一つのことにこれほど夢中になるのは初めてである。
ファンクラブに入ったのも、LIVEやイベントへ行ったのも、AUCだけ。
中学を卒業後、家出してから、犯罪による逮捕、収監と、一般社会での短い生活を繰り返しここまできた。
半年ほど前、たまたま当時、寝ぐらの一つにしていた健康センターのTVでAUCを見て、脳裏に稲妻が走った。
一瞬で、この女のために僕は生きたい!!と思い込んだ。
「蒼月いおを抱きしめたい」
「いおちゃんのためなら、なんでもできる。」
いおちゃんの情報を得るために、ファンクラブに入会して友達をつくるなんてこともした。
結局、まともに働かずに、毎日、AUCを応援するだけの生活を続けていくには、窃盗を繰り返すしかなく、やがて逮捕されてしまった。
しかし、信良はなにも反省していない。
これは、いおちゃんを愛する自分に訪れた試練だと考えている。
刑務所での生活は、一見、平穏に過ぎていった。
信良は連日、いおのことばかり考えていたが、それを口にしたりはしなかった。
(刑務所にいる犯罪者はみんな危険だ。こんな連中に、いおちゃんを知って欲しくない)
少年院の頃からの施設暮らしの経験があるので、信良は日々を大過なくすごすことができた。
そんなある日、信良に面会者がやってきた。
家族とはとうの昔に音信不通になっていて、国選の弁護士とも会うことは、ほとんどなく、これまで信良の刑務所生活で面会を希望する人などきたことはなかった。
面会希望者の名前は、望月孝義。ごく普通の会社員だという。
(望月孝義って言えば、AUCのファンクラブのメンバーで、AUCのイベントやファンクラブの旅行で一緒になったやつだな、あいつ、AUCのファンクラブで出会った友達とは一生、付き合っていきたいとか言ってた気がする。
本気、だったのか。
とにかく、いおちゃんの情報が欲しい)
面会室で強化プラスチィックの板を挟んで、信良と孝義は数か月振りに顔を合わせた。
孝義は以前、会った時と変わらず、地味なスーツ、ワイシャッ、ネクタイの痩せたサラリーマンだった。
AUCのLIVEやイベントの時には、この上にハッピや特攻服を着ているが、基本は同じ服装である。
眼鏡をかけたまじめそうな中年男だ。
「やあ。しばらく顔を見なかったから、ネットで調べて菅原さんが逮捕されたって知って、びっくりしたよ。それで、いろいろ考えたんだけど、心配になって」
「ありがとう。僕は大丈夫です。それよりも、いおちゃんは?」
(僕は望月のつまらない顔を眺めただけで、僕が刑務所に入ってからのいおちゃんがどうだったのか、それを聞きたくてたまらなくなっていた。
無事なのか、異常はないのか。AUCに変化はないのか)
「ああ。安心してくれ。いおちゃんは無事だ」
孝義は、しっかりとそう答えると、深く頷いた。
「望月さん。僕は、それがずっと心配で、毎日、いおちゃんのことばかり考えていて。望月さん。頼む。僕がシャバに戻るまで、いおちゃんを守ってくれ。お願いだ!!」
信良はつい叫んでいた。
これまで抑えてきた感情が一気に吹きだした感じだ。
2人のやりとりを見守っていた刑務官が、席を立ち、信良の横へ行って肩を掴んだ。
「す、すいません」
刑務官にふれられて、信良は己を取り戻した。
気がつけば、いつの間にか頬が涙で濡れている。
信良を見つめる孝義の目も、分厚いレンズごしに濡れていた。
(望月は、僕の気持ちをわかってる。
望月は、僕と同じだ。
望月は、サラリーマンで一生懸命仕事をして、ボーナスも給料もほとんどをAUCの応援につぎこんでるって言ってた。
僕は、一生懸命、泥棒して盗んだ物を換金して、そのお金をAUCの応援につぎ込んだ。
生れ育った環境や境遇が違うだけで、僕と望月は同じだ。
望月。お前は、僕の仲間だ)
孝義はなにも言わず、涙を流しながら、何度も何度も繰りかえし首を縦に振った。
面会時間が過ぎ、刑務官に促されて信良が退席するまで、孝義は首を振り続けた。
孝義と会ったその夜、信良は刑務所で博士と出会った。
END
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第一部は以上です。
全体で三部か四部になる予定です。
お読みいただき、ありがとうございました。
くわしい説明は、完結した後にしますね。
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