ずっとさめない夢があるとして、それを見続けるのは幸福なのか?(それでも押井守)
こんにちは。本気で本です。
本日の上映作品は、またもや押井守監督のアニメーションです。
この作品を押井監督の代表作と言う方も多いと思います。
「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」1984年 日本 98分 監督 押井守。
僕がこの作品を見たのは封切り時で、中学生でした。
そして、当時TVで毎週水曜日に放送されていたアニメ「うる星やつら」が劇場映画になるとTVとも、少年サンデーに連載されている原作とも別モノになってしまうことに驚きました。
原作者の高橋 留美子はこの映画版うる星を認めていないそうで、というかアニメうる星にかかわっていた押井守監督を認めていないらしく、いまとなっては、僕もそれはそうだろうなぁ、と思います。
自分の作品をネタにここまで好き勝手にやられたら、そりゃ、いい気分はしないでしょう。
ランマも犬夜叉も、アニメの制作陣はみんなもっと原作を尊重してましたよね。
それにくらべて、押井版うる星は、ほとんど、押井守が撮ったうる星やつらの同人フィルムです。
でも、それでも、さめない夢の中で生きるのは幸せなのか? というこの作品のテーマは、ある意味、普遍的で、マンガ、アニメ、映画、げーむのオタクなんかからすると身につまされる問題を含んでいると思います。
フルで貼っておきますので、さめない夢の世界を気がすむまで何度でもご覧ください。
僕自身、この人生のうちにあと何回、この映画を見るのだろう? と思うと、自分の業の深さを感じる、というか、この映画はいつまでもオタクをひきつける魔法みたいなもんだな、と思います。
雰囲気がでるかと思って、上映中の作品の画像など貼ってみました。
昔の映画館にスチーム写真が貼られていたのと同じです。
ここは僕の心の中にある懐かしの映画館のブログ版ですから。
それでは、またのお越しをお待ちしております。
失礼します。