100-82 異化
100-82 異化
家が母子家庭で、母が頑張って自分を養ってくれているのはわかっていた。
夜、化粧をして毎晩でかけていくのも、お金を稼ぐためにお店へ行っているんだとなんとなく理解していた。
夜中、たまに知らない男の人が母と一緒に帰ってきて、しばらく外へ行ってろと言われて、アパートから出されるのも仕方ないんだと思った。
どこの家の子供も、こういうめにあっているんだと思っていた。
小学校の高学年になって自分の部屋が欲しいと言ったら、トイレだったら、人が使わない時には好きなだけ入っていていいと言われた。
「でも、もったいないから電気はつけるな」
家にいる時はだいたいトイレにこもるようになった。
1人でトイレでいろいろ考えて時間を過ごした。
そんなTが人と普通に話せなくったのはある意味、当然だったのかもしれない。
クラスでも誰とも話さず、時には学校のトイレの個室にこもって授業にも出てこない時があった。
その小学校に相談係(カウンセラー)として来ていた霊能者の鈴木誠は、担任の教師に頼まれて、Tと会って話すことになった。
「・・・・・・」
相談室にきたTは、誠と目を合わせようとせず、そのうちに部屋に置かれた掃除器具の入れてある縦長のロッカーの中に隠れようとした。
誠はTをロッカーから引っ張りだして、ムリヤリその場に座らせて、自分も床の上にあぐらをかいた。
「Tくん、なぜ逃げるんだい?
言いにくいかもしれないけれども、もしかしてきみは誰かにいじめられてるの?
僕は誰にも言わないから、きみがいじめられたり、困ったりしていることがあれば教えてほしい。
僕はまず、きみと話がしたんだけなんだ」
誠の申し出にTは首を横に振った。
「首は振ってくれるんだね。
じゃ、ウンかハイならタテ、違うときはヨコに首を振って」
Tはあいまいに首を傾げた。
「きみは学校は好き?」
首は斜めのまま動かない。
「友達はいる?」
首はゆっくりと少しだけ横に動いた。
「きみをいじめるやつはいるのかな?」
「・・・どっちも、いない」
Tはかすかな声でつぶやいた。
「どっちもって、いじめるやつも、友達も、ってこと」
Tは首をタテに振る。
「人としゃべるのが苦手なのかな?」
また首をタテにした。
「どうして?」
「・・・わかんない・・・から」
「なにがわかんないの?」
今度は誠が首を傾げた。
これは長くなりそうだな。
誠はそう考えて、Tと自分の間に開いたノートを置いた。
「しゃべるのが苦手なら、ここに文でも絵でも書いてくれるかな」
そうして、誠が鉛筆を渡すとTはぽつぽつとT自身のことを絵と文章を使って説明しはじめた。
「言葉を話すのは難しい。
誰もが簡単に口にしている言葉はウソばかりで、本当の本当のことなんて誰も語っていない」
結局、放課後の数時間をかけて、Tが誠に伝えてきたのはそうした意味のことだった。
Tは主に自分の母を見ているうちに、人は相手や状況、気分によって、随時、いろいろな言葉を使うし、ただの表面上の意味だけでなく、言葉にはいろいろな真意が込められていて、それは複雑でとてもわかりにくいものだと思うようになっていた。
そうしてまず母の話言葉が信じられなくなったTは、学校での教師やみんなの言葉も信じられなくなり、最近では自分でもなるたけ話すのはやめるようになってしまった。
つまり、この子はとても繊細な感性の持ち主なのだと誠は思った。
誠がTの担任教師に提案したのは、Tにムリに話させるのではなく、Tの言葉への信頼を取り戻させるために、本を読ませたりして、話言葉でなく文章を読み書きさせる方法だった。
「毎日の宿題として日記を書かせるのもいいかもしれませんね」
誠のこの助言を教師は採用してくれて、Tは毎日、教師が渡してくれたノートに日記を書いてくるようになった。
クラスメイトとも教師ともほとんど話さないTは、日記に書く文章と、教師からの添削の文章だけで、コミュニケーションをとるようになった。
Tが学校にこなくなったのは、誠にあってから2、3ヶ月した頃だった。
一緒に暮らしていた母親が体を悪くして入院し、Tは遠い親戚の家に養子にだされることになったらしい。
Tは誰にも別れの挨拶をせずに転校していった。
誠がTと再会したのは、それから数年後である。
変わらず学校で相談係をしていた誠の元に、学校あてにTからハガキが届いたのだ。
「鈴木先生。文章と仲良くしています。会いに来てください。待ってます」
文面はそれだけだった。
ハガキの住所は電車で二時間もあればつく近隣だった。
印象的な生徒としてTをおぼえていた誠は、休日にハガキの住所を訪ねた。
Tがどう成長しているのか気になっていた。
市街地から少し離れた山の中にある、庭付きの古い大きな屋敷だった。
Tはすでに中学生になっているはずだが、無事、学校へ行っているだろうか?
それこそ、ネットでブログを書いたりできる環境だといいのだが。
玄関でインターフォンを押して待つ。
映画や小説にでてきそうな雰囲気たっぷりの洋館で、まるでホラー映画の舞台になりそうだと誠は思った。
木製の重そうなドアが内側から開くと、そこには以前よりも背が伸びたTがいた。
「やあ。ハガキをありがとう。
電話番号がわからなかったんで、いきなり来てしまってごめん。
最近はどうだい?」
言葉には答えず、Tは屋敷の奥へと誠を手で案内した。
入るとすぐに玄関ホールがあり、床には厚い絨毯が敷かれたいる。
窓が少なく照明も消しているのか室内は薄暗かった。
Tが誠を通したのは、書斎というかいくつもの書架が置かれた図書室だった。
ぱっと見ただけではどれだけあるのかわからない何百、何千冊の本が置かれている。
Tは何冊かの本を抱えてきて、大理石の大きなテーブルにそれらを置いた。
無造作にページを開いて並べていく。
数冊の本を開いたところで、Tはページに印刷された活字を指でさしていく。
「鈴木先生。こんにちは。きてくださってありがとうございます。
僕は、いまこの家で、祖父が集めた本たちと暮らしています。
僕もここにくるまで知りませんでしたが、祖父も僕と同じように活字にとり憑かれた人間です」
矢継ぎ早にTが指さす文章を読んでいくと、上記の内容になった。
Tは無言のまま、ページをめくり、活字を指してゆく。
「きみは、話さないのかい?」
誠が言葉をかけてもTは声をださない。
そして、
「最近は、ほとんど話しません。
学校へ行く以外は、ここで本を読んで、文章を書くのに時間を使っています。
祖父は、自分と似ているからか、僕をとても可愛がってくれています」
「本を開いて文章を選ばなくても、筆談するとか、スマホに打ち込みとかじゃ、ダメなのかい?」
「本が好きなんですよ。
僕は活字が、本が好きです。
先生。僕は異常者ですか?」
開いた本の上で素早く両手を動かすTに、誠はなにも言えなくなり、立ち尽くした。
END
☆☆☆☆☆
82話めは以上です。
この100物語は、私が聞いたり、体験してきた怪談と創作のミックスみたいな感じです。
今回は実話ベースです。
最近、映画が公開された「響」は小説に関しての異能者である少女が主人公でした。
Tの場合は文章に関する異能者です。
なにか抜きんでた才能がある者は、その分、どこかが通常よりも劣っているというのは甘えではなく事実だと思います。
みなさんのご意見、ご感想、お待ちしてます。