100-87 あいさつ
100-87 あいさつ
前話の100-86 祈祷 Sさんは現在、50代だ。
誠はいまではたまにSさんのお宅にお邪魔して、世間話をしたりする付き合いをさせてもらっている。
Sさん一家は現在も○○の信徒で、そのせいかもしれないが、彼女は最近では死者の声が聞こえるようになったという。
「ここで一緒に住んでた主人の両親がね、2人とももう亡くなったんですけど、時たま私に話しかけてくるんですよ」
霊の声が聞こえるというのは誠もよくある。
霊能者なら多くの人が経験があるだろうし、そうでない人でも、そこにいないはずの人の声を耳にしたような気がした、ということくらいは誰にでもあるのではないだろうか。
「亡くなった人が話しかけてくるんですか?」
「私、家でお題目を唱えるでしょう?そうするといつの間にか私の隣りに亡くなったお婆ちゃんがいるのね」
「それははっきりと見えるんですか?」
「見えるというか感じるというか、ああ、お婆ちゃんがいるな、ってわかるのよ」
「なるほど」
これだけでは、霊能力かどうかはわからないが、死んだ家族の声が聞こえるというのも、よく聞く話だ。
「お婆さんは、どんなお話をしてくれるんですか?」
「私ね、お題目を唱える時に、うちの娘の仕事がうまくいきますようにとか、今日は主人が出かけているから無事に帰ってきますようにとか思いながらお祈りするの。
で、そうして私が一生懸命拝んでいると、お婆ちゃんが横から、「大丈夫だよ」とか「明日はちょっと大変なことがあるから気をつけて」とか言ってくれるんです。
例えば、この人と私は会わない気がすると思う相手がいるとして、拝んでる時に「お婆ちゃん、私、あの人とうまくいかないよね?」って聞くと、「うん」って答えてくれたりするの。
お婆ちゃんの言うことはだいたい当たるんですよ」
毎日、自宅の仏壇を拝むSさんのような信仰心の強い人にはそうしたこともあるのかもしれない、と誠は思った。
Sさんは誠が自分の話を信じてくれているらしい様子に満足したのか、深く頷くと続けて、
「私、この間幽霊とも会ったんですよ。
夜に、主人と2人で町を歩いていたら知らない男の人が私のところに寄ってきたの。
見たことのない人だったけど、きちんとした身なりだったし、私にはすごく優しそうな雰囲気の人に思えたから、その人が私の前まで来た時には私から「こんばんは」ってあいさつしたの」
Sさんのあいさつに相手も足をとめ、頭を下げてあいさつしてくれたという。
「私にね、もうそれだけでピンときたの。この人はHさんの旦那さんだって。
会ったことないけど話には聞いていたからね」
彼は、Sさんに何度も何度もお辞儀をしてHさんをよろしくお願いしますと、繰り返し言ったそうだ。
「わかりました。大丈夫よ、Hさんには私もついていますから、って。
私、その、もう亡くなっているはずの旦那さんに言ってあげたわ」
「亡くなっている方だったんですか?」
「ええ。Hさんから旦那さんが病気で亡くなられた話は聞いていました。
でも、その人と会ってる時も全然、怖くなかった。
この人、Hさんを大事に思ってるんだな、って、すごく感じたのよ」
彼はしばらくSさんの前でそうしていたが、そのうちに、失礼しますと言って、歩き去って行った。
Sさんは、彼の後ろ姿が闇に溶けるように見えなくなるまで、その場で見送る。
彼が消えてしまった頃に、Sさんの横にいる御主人が、思い出したように口を開いた。
「おまえ、大丈夫か?
なんか、1人でずっと話してたけど、なにをしてるんだ?
ですって。
主人にはその人はまるで見えてなくて、私が1人でヘンなことしてると思って、黙って眺めてんだって。
大丈夫か? とか失礼しちゃうわ。
ねぇ、鈴木さん、ひどいと思いません?」
「いやまぁそれは、霊との対面とかははたから普通の人が見ているとそんなものですよ」
「あの後、Hさんに旦那さんの写真を見せてもらったら、やっぱり私と会った人で間違いなかったんです。
Hさんに、あなたの御主人さんと会ったわよって教えてあげました」
霊能者として、誠がSさんを見ると、Sさんに特殊な力があるようには感じれない。
しかし、Sさんの場合、家族で代々信奉している宗教への想い、信仰が窓口になって、目に見えない良いものも、悪いものもSさんのところへ引き寄せているように思えた。
修行することで霊能力を身につける修験者やイタコ、ユタみたいに、一般の人も信仰を通じて、見えないものを引き寄せる体質になるのかもしれない。
それが吉とでるか凶とでるかは個々によるだろうが、満ち足りた表情で話をするSさんを眺め、彼女の場合はこれでいい気がすると誠は思った。
信じるものは救われるというように、実際、信仰とは、敬虔な信者に目に見えない力を与えるのではないのだろうか?
☆☆☆☆☆
87話めは以上です。
僕は、信仰ってなんなんだろうとたまに考えます。
僕は読書や映画を観ることが自分の人生を豊かにすると信じているし、幼い頃から馴染んできた武道が自分の心身にプラスだと信じています。
これらも信仰ですよね。
こうした個人的な思い入れがカケラもない人はさすがにいないでしょう。
ギャンブルをしないと生きてる気がしない人や24時間AVチャンネルを自宅にいる間は常にかけっぱなしにしている、なんていう知り合いもいます。
これも彼らの人生にとっては欠かせないものなのでしょう。
僕は、それぞれの人の信仰がその人にプラスをもたらすよう望みます。
今回の話もベースになった実話があります。
仕事で占いなどをしているせいか、鈴木誠ばりにオカルトっぽい相談を受けることがありますが、僕の返事もまた鈴木誠ばりに煮えきらないものになることが多いです。
山に籠って第三の目が開くまで修行すれば、森羅万象と一体化して現世で悩むことも消えるのでしょうか? しかしまぁ、すべての人が超人を目指す必要はないと僕は思います。
みなさんのご意見、ご感想、お待ちしてます。