広告

一番好きな現役プロレスラー炎の飛龍、藤波辰爾選手について

f:id:honkidehon:20190519174232j:plain

藤波辰爾 65歳 1971.05.09デビュー

こんにちは。本気で本です。

以前の記事でもふれましたように、僕はプロレスがかなり好きで、最近(2019年5月現在)は、プロレス人気がけっこう盛り上がっていて、それ自体がまずうれしいのですが。

 

IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカを中心とした新日本プロレス。

若き三冠王者、宮原健斗 が先シリーズのチャンピオンカーニバルでも優勝し勢いに乗る全日本プロレス。

GHCヘビー級王者の清宮海斗、同タッグチャンピオンのAXIZ(アクシス)等、新しい世代の魅力あふれるNOAH。

ネット(YOUTUBE)での定期番組が毎週好評のレッスルワン。

ハードなデスマッチ路線で支持されている大日本プロレス。

どれも観れば必ず熱くなれる好試合連続です。

が、そのような状況下でも、僕は今回紹介する藤波辰爾選手のレスリングが好きですね。

なにがどういいのかと言うと、藤波選手はあくまでプロレスラーとしか言いようのない技術の持ち主で、あえて僕個人の印象で言えば、個性の薄いドリー・ファンクJrと言うか、おもしろみのないニック・ボックウィンクルというか。

オーソドックスなプロレスリングの文法に乗っ取った試合を作る、オールラウンダーです。

特に階級をヘビー級にしてからは体が小さなためもあってスープレックス等の派手な投げ技もなく、飛び技もドロップキックくらいしかやらず(それも近年は見せなくなった)、受けにまわる局面が多く、相手のレスラーの良さを引き出して、観客を満足させる試合を展開することにひたすらつとめ、師匠のアントニオ猪木の万分の一も我の強さを感じさせない選手です。

弟子というか袂を分けた後輩の西村修に取られてしまいましたが、無我というのがずっと藤波のキャッチコピーでした。

それこそ20代の若い頃は、藤波も派手な技を使っていましたが、ここ30年くらいは、技のレパートリーも地味です。

 

それでも勝つのです。

 

受けて、受けて、スモールパッケーシホールドや逆さ押さえ込み、グランドコブラ・ツイストで3カウントを奪うとか、相手が格下であれば、ドラゴン・スクリュー(片足への巻き込み気味の捨て身タックル)から4の字固めや、スタンディングのスリーパーから、グランドでのオリジナルの絞め技ドラゴン・スリーパーへ移行してのギブアップを取るのが勝ちパターンですね。

藤波自身が派手な技を決めている場面は少なくても、相手の得意技、派手な動きはほとんどすべて? 引き出すので、観客は試合を楽しめます。

 

正直、なんでこの人、負けないの? と思うくらい受けまくる試合もあります。

 

強い者が勝つのではなく、勝ったものが強いんだ!! は、まさに藤波のためのフレーズです。

主な戦績としては、NWA、WWFJrヘビー級王者、IWGPヘビー級王者、G1クライマックス優勝他、タッグ王座も複数回獲得しています。

なによりも、藤波のキャリアで忘れてはいけないのが、1999年から2004年まで新日本プロレスの社長をつとめたことです。

そうです。K-1やプライドが大人気で新日本プロレスがあわや倒産、消滅!?の危機を迎えた暗黒時代の社長が藤波だったのです。

藤波自身は中卒で、プロレス入りして、その後もずっと師匠のアントニオ猪木についてきた学歴も、プロレス以外のスポーツ歴もない人で、社長になった当時もほとんど同社のオーナーをしていた猪木に逆らうことができず、世間の格闘技ブームへの対抗策も打ち出せずに興行人気は低迷、所属選手は大量離脱。

ファンの多くがプロレスから離れていく現象を起こしてしまったのは、藤波社長が原因である、と考えた人も多かったでしょう。

僕は、社長時代、高校も大学も普通の会社員も経験したことのない藤波が慣れない社長業で苦闘する姿も、また選手として腰を痛め、ヘルニアが立てないまで悪化して1年3ヶ月欠場した時も、応援してきました。

藤波の座右の銘は、never give up です。

何度かささやかれた引退(本人が、そろそろ俺も、と口にした時期もあった)も、結局、うやむやなまま、現役選手としてリングに上がり続けてもう65歳です。

長年のライバルの長州力がもうじき引退(2度めの)するのですが、最近は藤波は、自分はリングに立てる間は現役を続けたいと言っていて、ファンとしてはその姿勢は大歓迎です。

いまの日本の(おそらく世界の)プロレスラーで藤波みたいなレスリングをする選手は他にいません。

新日、全日、NOAH、レッスルワン、海外でも、それこそどこへでも行って一試合でも多く試合して欲しいです。

65歳ではワンマッチの参戦はできても、シリーズ通しての全戦参加は難しいと思いますが、できるのなら、ぜひしていただきたい。

いまやプロレス界の人間国宝と言っても過言ではない存在となった藤波辰爾選手。

今後も僕は藤波選手の活躍を期待しています。

(子供の頃から武道をしてきたものとして、実は一度、どんな形であれ、藤波選手にお手合わせしていただきたい夢があるのですが、これは叶わなくてもいいです)←死ぬ気か、コイツ。しかも、50万くらい出したらやってくれるかなとか、アホや。

50万とか、舐めてるデス。by.長女


〈ドラゴン腰を負傷‼︎〉藤波辰巳vsスティーブウイリアムス 1986年8月1日

↑逆さ押さえ込みで3カウントを奪って勝利したにもかかわらず、その後も相手選手やセコンドの外人選手たちが暴れまくり、負傷してしまう藤波選手。まさに、彼らしい試合です。

 

 

 

 

 

ブログ記事への感想・ご意見は、お気軽にコメント蘭へどうぞ。みなさんの声、お待ちしてます。 広告