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単品86「パッション」 凄惨な拷問シーンに映画を観た女性が心臓発作で死亡した事実はあるものの、だから観ないというのは・・・

 

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画像出展元URL:http://eiga.com

僕はキリスト教者ではないが・・・しかし、宗教というのは

まず僕個人の見解ですが、ざっくばらんに言って宗教というのは厄介です。

最近ではYOUTUBE上で、自称最高神(日本人、初老の男性)を教祖とする某新興宗教が、教団を離れた教祖の実の息子と、互いに互いを非難するディスり動画をUPしあっていて、公開内ゲバの様相をていしています。

僕みたいなどちら側ともなんの関係もない者からすると、まじめにこの教団を信じている信者さんたちが、かわいそうな気持ちになります。

僕はアカの他人だから言わせてもらうが、親子で告訴したり、揉めあって、これではどちらもバカまるだしだ!

自分の父親は、神なんかじゃない、高学歴(東大卒)を鼻にかけた、金銭欲の強い低俗な人間で、最高神でも、霊能力者でもなんでもない。信者はみんな騙されているんだ!!

と、息子が言えば、父親側は、

息子には悪霊がとりついている。

息子の言葉はすべてウソだ!! 信じてはいけない!!

みなさん、最高神(教祖)を信じてください!!

 

僕は、御存じのように頭の悪い映画好きで、この息子さんが、俳優、映画監督をしており、そもそもはYOUTUBEに映画批評をUPしていたので、そこで彼のことを知り、それから、ずるずるとこの親子の争いを眺めることになりました。

ま、新興宗教のリアルな内ゲバなんて、まるで人気の海外ドラマ(Huluのオリジナルドラマ「The Path/ザ・パス」)をリアルでみてるみたいだし、めったにできない経験だよね。

口喧嘩や口論は、どちらかが黙れば終わるものだけど、それがなかなかできないのが人間の悲しさです。

で、某新興宗教一族の争いはまだまだ続きそうなのですが、やはり僕は、宗教というのは信じる人を幸せにするためのシステムなのに、世界のあちこちでしょっちゅう争いを起こしているし、互いに自分たちの正義を疑う心を忘れているように見えるし、本当に厄介だな、と日々、思っています。

「パッション」は宗教映画か?

2004年に世界で公開されたメル・ギブソン監督の「パッション」は、全米で製作費(30,000,000ドル)の10倍以上(370,782,930ドル)、全世界で製作費の20倍以上(611,899,420ドル)の興行収入を記録した大ヒット作品です。

内容は、イエス・キリストが処刑されるまでの12時間を可能な限りリアルに描いたもので、演者のセリフは全編、当時、使われていたとされる、アラム語とラテン語で、各国の上映、ソフト化された際にも吹き替えは行われず、字幕スーパー版で公開されています。

映画を観た、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「It is as it was(全て真実)」とコメントしたとか、米国で観客の女性がイエスの拷問シーンを観て心臓発作で死亡したとか、日本ではPG-12指定(12歳未満、小学生以下の鑑賞には、成人保護者の助言や指導が適当)で公開されたとか、いろいろありましたが、僕の私見では、この映画は、聖書をもとに、イエスが一人間として時の社会からどんな迫害を受けたかを忠実に再現した作品だと思います。

当時のイスラエルで多数派であったユダヤ教からすれば、神の子を自称するナザレの大工の息子イエスが起こした新興宗派は目障りで、権力を武器にそれを排除するのは、当時としては大多数の正義であったというお話です。

この映画で描かれている時代には、邪教の教祖であるイエスが囚われ、処刑されるのは当然のことであり、しかしそれを後の世である21世紀に映画にすれば、イエスは不当な迫害を受けたように見える。僕はそう思いました。

イエスの死の直前の12時間とは

映画は、深夜の森の中で使徒たちと過ごすイエスが、ユダの密告と自らの身が確保されることを予感する場面からはじまります。

ほどなく、12使徒らの抵抗も空しく、イエスは兵士たちに束縛され連れてゆかれてしまうのでした。

その後、彼を待っていたのは、ユダヤ教の権力者たちに煽動された群衆による死刑を求める声と、鞭打ちや石打ちなどの拷問でした。

それでもイエスは誰を恨みもせず、天父(神)に自分を裏切った者や拷問した兵士らに対する許しを求める言葉をつぶやき続けます。

そして、ついに十字架を背負わされ、ゴルゴダの丘へと登ったイエスは、磔にされて、人としての死を迎えるのでした。

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画像出展元URL:http://eiga.com

友達というか知り合いにキリスト教(プロテスタント)の牧師がいるので

僕はお宅にお邪魔して、一緒に御飯を食べるくらいの知り合いにキリスト教の牧師がいるので、この映画を熱心なキリスト教者(カトリック)のメル・ギブソンが私財を投げ打って制作したというのは、わからないでもない気がします。

自分もキリストの死の時に立ち会いたかった。

信仰心の強い信者ならそう思っても不思議でないでしょう。

キリストの死とは、世間の無理解や人と人の不寛容さといった人間の原罪を自分(キリスト)がすべて背負って人間として死罪を受けるという意味だったはずで、みんなの罪のためにキリスト様は死んでくださったというのは、熱心な信者のみなさんの受け取り方だと僕は記憶しています。

さてさて、日本にはお坊さんも、新興宗教の教祖様もたくさんいらっしゃいますが、信者さんたちや人類の罪を背負って、死んでくれる人なんて、ほとんどおられませんよね。

別に死ねばいいとは、思いませんが、一宗派の教祖として、自分が説いてきた教えをつらぬいてそこまでするのは、それは一種のカリスマ的なイベント(儀式)だと思います。

グロい、ホラー、スプラッター映画ほど、グログロなシーンがあるわけでなく、また、言葉でキリスト教的な説教があるわけでもないので、宗教やイエスに興味のある方にはオススメです。

それに、古代語のアラム語とラテン語での会話なんて、いま時、ここでしか見られませんよね。

<映画の最後の最後に、死刑の三日後、イエスは蘇ります。聖書通りに。この映画はそこまで描いており。続編も予定されているそうです>


『パッション』日本版劇場予告編

 

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