VOL2.137 「ビッグ・フィッシュ」(2003年)映画で泣かない僕が、何度観ても泣きそうになる映画。
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☆☆☆☆★
ティム・バートン監督のロマンチックでちょっぴりグロテクスなホラ話。125分は長くない。
作品紹介とあらすじ
2003年に公開されたティム・バートン監督の本作は、バートン監督の作品の中では、比較的クセの少ないものとして認識されています。
映画ファンにとってバートン監督=クセの強い監督だったりするので、「ビッグ・フィッシュ」は異色作です。
参考までに彼の主なフィルモグラフィをあげておきますね。
1988年「ビートルジュース」
1989年「バットマン」
1990年「シザーハンズ」
1992年「バットマン・リターンズ」
1994年「エド・ウッド」
1999年「スリーピー・ホロウ」
2001年「PLANET OF THE APES/猿の惑星」
2003年「ビッグ・フィッシュ」
2007年「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」
2010年「アリス・イン・ワンダーランド」
等々。
僕の記憶に強く残っている作品だけをざっとあげても、個性的なものばかりですね。
本作「ビッグ・フィッシュ」はそんな彼の作品の中では、比較的地味な作品で、だからこそ、そこがいいという人と、いやいやこんなに地味だとつまらないよ、という人にわかれると思います。
仲たがいしていた父と息子が父の死の間際に和解するというストーリーで、息子が父に反感をおぼえた理由が、父が常々口にしているホラ話なのです。
「父さんの話はおもしろいけど、ホラばかりで本当のことを話してくれない。
父さんのホラ話に付き合うのは、子供だけだ」
息子の不満に対し、父の答えは、
「自分はウソなどついていない。本当のことしか話してない」
でした。
息子がイヤがる父のホラ話とは、息子が生れた日に金の指輪をエサにして川に住む伝説の巨大な魚(ビック・フィッシュ)を釣り上げたとか、人の死にざまが見える魔女の館へ訪ねていって自分の死にざまを見てもらったとか、身長5メートル近くもある大男と友達になって旅をして理想郷のような隠れ里に迷い込んだとか、ファンタジックなおとぎ話っぽいものばかりです。
すでに成人し、結婚して家を出ている息子は、父親の話をもはやまったく信じていません。
「父さんは、母さんの他にも女がいて、恐らくのその女と別の家庭を持っていて、そこでも生活しているから、あまり僕と母さんがいる家に帰ってこない。
話すのもホラばかりで自分たちに本当のことを話そうとしない、裏表のある男だ」
息子はずっとそう思い込んでいました。
ところが、ここからがこの映画のキモなのですが、映画が進むにつれて、息子は父親のホラ話が実は本当だったかもしれないと思うようになってゆくのです。
第二次世界大戦中、スパイ任務でシャム双生児の美人女性歌手たちと世界を駆け巡っていた父親は、長きに渡った冒険旅行のため、軍には戦死したと思われ、その時、軍から母親に送られたという父親の死亡通知が出てきたり、ホラだとばかり思っていた隠れ里も実在していて、かってそこの住民だったという女性と出会って直接、話を聞いたり。
どうやら、父さんの話はすべてはホラではなかったらしい。
息子がようやくそう気づきはじめた頃、父は危篤になります。
死の床にいる父親は、息子に尋ねます。
「わしの死に際は、魔女に見せてもらったわしの最期はどうだったかな?」
「父さん。その話は僕は教えてもらってないよ」
「わしの死に際は・・・・・・」
いまわの際の父親はもう満足に話せません。
そこで息子はこれまで父がそうしてくれてきてくれたように、不思議でロマンチックな物語を即興で語ってあげるのです。
「そして、父さんは、最期は大きな魚になって川へ還っていくんだよ」
「そうだったな」
息子の話を聞き終わり、父親は満足気にまぶたを閉じます。
映画のラストは父親の葬儀です。
そこには、5メートルの大男も、狼男のサーカス団長も、魔女も、銀行強盗になった詩人も、美人の双子もみんな出席しています。
父親の話がどこまでがホラでどこまでが真実だったのか? 結局、誰にもわかりません。
それでも、息子は父の葬儀で満ち足りた表情を浮かべるのでした。
ホラ吹きは罪か?
この映画についてあらためて考えて、僕は経歴詐称でテレビから姿を消したショーンKこと川上 伸一郎を連想しました。
学歴や、純日本人なのにハーフで名乗ったり、実際は会社経営していないのに渋谷に月3万円のレンタルオフィスを借りて会社経営者を装ってたりしていたショーンKは、学生時代、地元ではホラッチョ川上と呼ばれていたそうです。
僕は詐称が発覚する前から、経営コンサルタントとして各種テレビ番組に出演しているショーン氏に違和感をおぼえていました。
彼のコメントをまじめに聞いていると「いつもどんな話題に対しても、本当に身のない、あたりさわりのない、適当なコメントしかしないのでこれでいくつも番組に出てお金がもらえるなんて、この人、タレントとして上手だな」と思いました。
しかし、本業の経営コンサルタントとしては、いかがなものなんだろう? と。
結局、ショーンKは「週刊文春」のスクープでウソがバレて、仕事も信用も失ってしまったわけですが、まぁ、それはそれとして、僕なんかは、ホラッチョショーンKのホラは、一種の芸であり、あれでお金を稼いでいたのだから、法律的どうのは別として、ウソ吐きの芸人としては一流だったのでは、と思うのです。
ようするに、ホラはウソではあるけども、騙された相手がそれで幸せなら、別にそれはそれでいいんじゃないの? ということです。
「ビッグ・フィッシュ」のお父さんのホラは、どう見てもプロの芸人レベルですし、みなさんの人生の中にも、そんなホラで周囲を楽しませてくれる人っていませんか?
僕の人生には何人かそんな人が登場してきました。
真偽のさだかでない楽しい話をたくさんしてくれる人です。
学校の先輩や先生、会社の上司にもそういう人っていたりしますよね。
悪意のある犯罪としてやられたら別問題ですが、本人にも罪の意識なく話してくれているだけなら、僕は個人的にはこういう人物は別に、そばにいてもらってもかまいませんよ。
「ビッグ・フィッシュ」はホラ吹きに否定的な息子と、それでもホラ吹きは楽しいし罪はないよ、という世界の物語です。
優しく懐かしい、そんな気持ちになりたくなったら観てみても損はしません。
ヘンな映画ではあるけれども、多くの人が楽しめる大衆性があると思います。
僕がたまに見返す映画の1つです。
それでは、失礼します。