100-83 拒食
100-83 拒食 自分の体重を自由に増減できるU子さんという女性がいる。
彼女はかなり正確に、なんなら100グラム単位で自在に体重の増減できるほどだ。
別になにか一つの運動に特化しているとか、ヨガの達人というわけではない。
高校生の頃のU子さんは、普通の、ちょっとぽっちゃり気味の女の子だった。
年頃の女子なら誰しもそうであるように、自分の容姿を気にしていたし、たまにダイエットに挑戦したりもしていたが、どれもほどほどで、それほどのめり込んだことはなかった。
ある日、U子さんは街を歩いていたところ、スカウトマンに声をかけられた。
「きみ、かわいいね。
雑誌のモデルをしてみない?
きみみたいな普通っぽい子の方が読んでる人の共感を呼ぶんだよ。
どう、私達の用意した服を着て、カメラマンに写真を撮ってもらう仕事なんだけど、やってみない?」
「あの、私、そんなの、急に言われても」
「ごめんごめん。
まずはオーデションがあるからさ。
試しにそれを受けてみてよ。
きみなら、きっと合格すると思うよ」
という申し出に、U子は驚き、家族や友達に相談した。
そして、「まぁ名前を知ってる雑誌だし、怪しい話ではないだろう」と興味本位でオーデョンを受験した。
結果は合格。
誌面を彩るその他大勢のうちの1人として、U子さんはモデルデビューした。
ロケ地に行き、用意された服、小物を身につけて、カメラマンの指示通りのポーズ、表情で撮影された。
もともと素人であるし、デビューが特に評判になったわけでもなかったのだが、なにが良かったのか、以来、ちょこちょことモデルの仕事がもらえるようになった。
わずかばかりだが報酬もあったので、U子さんはアルバイト感覚でモデルを続けた。
やがて仕事の数をこなすうちにカメラマンや雑誌の編集者たちと話をするようになり、彼、彼女らから異口同音で、「U子ちゃんはもう少し細くなれば、もっときれいになるのに」的な助言をもらった。
「でも、本気のダイエットって体に悪そうな気もするし、私、まだ10代だから、しっかり食べるのも大事だよね」
U子さんはそう思っていた。
しかし、一緒に仕事をしているモデルの女の子たちが実際に痩せて、きれいになって、いい仕事をもらっていくところを何度か目にするうちに、いつしか「自分ももっと痩せなくては」と感じるようになっていった。
「薬やダイエット食品はイヤ。
手術して助骨を削るのもしたくない。
痩せるにしても自然に痩せたい」
U子さんはこまかなことは考えず、とりあえず、間食をやめた。
プラス、母が作ってくれる三食の食事も野菜しか口にしないようになっていった。
学校へ持っていく昼食の弁当は、野菜以外のおかずやご飯を捨てるようにした。
いつの間にか他のモデルの子たちと自分の体形を比べて、競っているような意識にとらわれていた。
ダイエットと美容に効果があるというので、空いている時間は、ウォーキングやジョキングをするようになった。
U子さんは痩せた。
3ヶ月で10キロ以上の減量に成功した。
たしかにモデルの依頼も増えたし、クラスの女子たちの噂によると男子たちの人気も高まっているらしかった。
「U子、最近かわいいよね。雑誌でモデルしてるらしいぜ。
そのうち、芸能界デビューでもするんじゃないの?」
「このあいだU子見たらキレイすぎてビビったぜ。
もう、他の女子とはオーラが違う感じ」
男子たちのそんな言葉がそれとなくU子さんの耳にも届いてきた。
U子さんも悪い気はしなかった。
体重が減るといいことばかりだ。
だったら、このままずっと痩せていれば幸せに生きていけるかも。
U子さん自身、単純にそう考えた。
夏休みがきてU子さんは、友達に登山に誘われた。
みんなで日本一高いあの山に挑戦するとのことで、U子さんも一緒にこないかとの話だった。
登山ならダイエットも期待できるし、みんなと一緒なら安全だろう、とU子さんは登山に参加した。
減量による体力の衰えは特に感じていなかった。
それよりも、すっかり食べないクセがついて普段から食が細くなったのがありがたかった。
登山は夜、8合目までバスで行って、その後、日の出の御来光を目指して頂上まで登る計画だった。
当日は悪天候だった。
天候の変化で暴風雨のコースが変わったとかで、夜、バスが山についた時点で予定を変更してバスから降りずにそのまま帰って下山して行く人たちもいた。
U子さんたちはバスを降り、嵐の中、登山を開始した。
みんなでいればなんとかなると思えたのだ。
お互いに励ましあって夜道を進んだ。
激しい風と横殴りの雨で、U子さんは自分の体力がどんどん削られていくのを感じていた。
普段は軽いはずの体が重く、頭もクラクラしてきた。
「これじゃ、U子が吹き飛ばされちゃうよ」
仲間たちがそう言って、みんなでU子さんをかこむように進んでくれた。
体は重いのに、風で、その体が浮き上がりそうになるのを何度も感じた。
耐え切れなくて、地面に手をついて四つんばになりそうになって、左右から仲間に抱え起こされた。
「ごめん。私、ダメ。ムリだ」
U子さんが泣き言を言うと、仲間たちが「大丈夫だよ、一緒にがんばろ」と励ましてくれた。
しばらく歩くうちに、山小屋についた。
小さな小屋が嵐の中、夜、明かりをつけて営業していた。
U子さんたちは助けを求めるように、その小屋を訪ねた。
小屋の店主は、U子さんたちを中に入れてくれた。
いま現在、山は台風時と同じ状況になっており、登山はほとんどの人が中止して、下山できる人はみな、もっと早い時間に下山していったのだそうだ。
U子さんたちは、天候がある程度落ち着くまでここで過ごすことになった。
タオルで体をふき、着替えがある子は着替えたりしている。
U子さんは体中の震えが止まらず、頭からバスタオルをかぶって、椅子に座ってガタガタと震えていた。
「いまの自分には、生きるのに必要最低限の体力しかない」
U子さんはそれを実感していた。
このままの状態では自分は死ぬかもしれない、と思った。
さすがに死にたくはなかった。
座って息をしているだけで体力的にきつかった。
「これ、食べなさい」
山小屋の主人が小さなお椀にうどんを入れて、U子さんに渡してくれた。
体は消耗しきっているのに、それでも、U子さんには食欲がなかった。
こんな状態でも物を食べたいと思わない自分の体は異常だと思った。
他の仲間たちはそれぞれ、おいしそうにうどんをすすっている。
「なんで自分は食欲がわかないんだろう?」
U子さん自身、そのワケがわからなかった。
お椀を前に体力の限界がきたのか、今度は眠気が襲ってきた。
このまま、前に倒れて、眠ってしまう気がした。
そして、もしここで寝てしまったら、起きられない予感があった。
眠たい。
でも、寝ちゃダメなんだ。
U子さんはうどんのお椀を睨みつけた。
これを食べれなければ、すぐにではなくても、近いうちに私は死ぬ。
死を目前にしているのを確信した。
そう思うと、涙がこぼれてきた。
お椀を口元に寄せてつゆをすすろうとすると、吐き気をおぼえた。
うどんのつゆさえすすれないほど、U子さんは食欲を失っていた。
でも、
でも、
食べなきゃ。
私は、生きるんだ。
U子さんは強い決意を持って、うどんを1本つまんで、くわえた。
うどんのあたたかさや舌先で感じるつゆの味に、吐きそうになった。
吐いちゃダメ。
食べるのを拒む自分の体を意志でねじ伏せて、U子さんはムリヤリ、うどんを飲みこんでいった。
1本のうどんを少しずつ少しずつ飲んで、ゆっくりとそれが喉を通過していくのを味わった。
味がどうのでなく、喉の中をうどんが進んでいくのをリアルタイムで感じていた。
ここしばらく、まともな食べ物が通っていなかった自分の喉をうどんが、閉じた穴を広げるように進んでいく。
ずいぶん時間をかけて、ようやく1本、飲みこんだ時、U子さんは大量の涙で自分の顔がぐしゃぐしゃになっているのに気づいた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
知らないうちにつぶやいていた。
「U子、大丈夫?」
「ちょっと、横になった方がいいんじゃないの?」
U子さんの異常な様子に仲間たちが気づき、声をかけてきた。
U子さんは、うどんの栄養が自分の体に吸収されていくのが、はっきりとわかった気がした。
U子さん自身、後にあの時から、私という生き物が口から食べ物を摂ることでどんな風にそれが栄養として体に吸収されていくのか自覚できるようになったと言う。
「みんな、ありがとう。もう大丈夫よ。みんな、ごめん」
U子さんは、みんなに謝りながら、時間をかけてうどんを完食した。
小休憩後、U子さんはみんなと一緒に頂上まで登り、無事御来光を拝んで帰ってきた。
あの日の出来事以来、U子さんは、いまの自分の体にどんな食べ物が必要なのか、なにをどれだけ食べると何グラム太って、食べなければどれだけ痩せるのか、感覚的にわかるようになったそうだ。
きっと、あの日、山小屋で物を食べられることに心の底から感謝したからじゃないかとU子さんは思っている。
END
☆☆☆☆☆
83話めは以上です。
ある人の高校の時の体験したエピソードが元になっています。
登山でそこまで追い込まれなければ、彼女はきっと拒食症になっていたと思います。
このエピソードは心霊ではありませんが、奇妙な話のワクでの100物語です。
こうした奇妙な経験は誰の人生にもあると思います。
ですよね?
みなさんのご意見、ご感想、お待ちしてます。